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400年もの昔、小豆島から切り出された巨石ははるばる
海を越え大坂城へと運ばれた。 |
由来 |
徳川幕府は元和6年(1620)から元和8年<第一期>、寛永元年(1624)から寛永3年
<第二期>、寛永5年(1628)から寛永6年にかけ、冬・夏の陣で落城した大坂城を修築。
小豆島では西国の大名が20ヶ所以上の丁場(採石場)でみかげ石を切り出し、船で
大坂へ運ばれました。土庄町内では、小海地区の丁場は「豊前小倉藩主:細川家」
千軒・小瀬原丁場は「肥後熊本藩主:加藤家」、また大部丁場は「豊後竹田藩主:
中川家」の持ち丁場であったと伝えられています。 |
現在 |
「残念石」と呼ばれ40数個残存している。元和9年(1623)頃には積み残され各地に
散在していたものを明治初年ここに集める。昭和46年に香川県の史跡指定を受けて
います。平成11年資料館などが整備され道の駅となりました。 |
残念石に残された刻印
とうふ型の大石にはわかりにくいですが
左の画像のようにどの藩が出した物か
わかるように刻印が残されています。
画像中央【田】のような印 |
残石群とそれらを運んだ修羅 |
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